私たちは願いが叶ったら、現在抱えている悩みや問題といった嫌なことすべてから解放されて、幸せな人生を送れるに違いないと、無意識にでも想像することがあります。
「願いが叶う=幸せになれる」とは、希望的観測にすぎないのに、あたかも現実に幸福になれるものだと錯覚してしまうことを、心理学では「幻想的願望充足」と言います。
幻想的願望充足は、自己防衛の一種
現実生活が辛くて厳しいときこそ、誰しもが一度や二度は、「これさえ叶えば、今の苦しい生活から解放されて、幸せになれるはず!」と、頭をよぎったことがあるのではないでしょうか。
人生経験を重ねると、それは全くの誤解で、幸せな生活が待っていると想像することで、辛い現実世界から逃避し、自分を守るために脳が錯覚を起こす、自己防衛本能の一種なのだと気づく時がきます。
近年は情報網が発達しているので、人生経験が浅く、広い視野が持てなかったりすると、SNSを通して、願いを叶えた人たちが、華やかで毎日楽しく幸せな生活を送っているかのように見える姿を、断片的であっても、繰り返し見ている内に、なおさら願いが叶えば、永遠の幸せを手に出来ると思って疑わないでしょう。
私がまだ精神的に未熟だった若かりし頃「幻想的願望充足」に何度も陥りました。学生の頃は、自由に使えるお金が少ないので、早く卒業して、給料の高い会社で働けば、お金の問題から解放されてすべて上手くいくとか。就職した職場が辛いから、結婚して会社を辞めて主婦になれば、幸せになれるに違いないとか。
想像がつくかと思いますが、全くの幻想にすぎませんでしたね。現実は想像とは全く違って大変なことの連続で、外で働くこととは別の苦しみが、たくさん待っていました。けれども辛い会社員時代を支えたのは「結婚して会社を辞めれば幸せになれる!」といった希望でした。
きっと心の奥深くの潜在意識では、違うとわかっていても、幻想を抱くことで辛い現実生活との狭間で、心のバランスを取っていたのかもしれません。
人生経験を重ね、経験値が増すことで自然に現実主義になる
経験の浅い人生初期のうちは、「幻想的願望充足」に陥ることは、大人になる過程で仕方のないことかもしれません。
「○○をしたら幸せになる」という思考は、ある種「白黒思考」といった両極端な考え方なので、人生経験が少なく、柔軟性が持てなかったり、小さなコミュニティでの生活によって視野が狭まることで、他の考え方がわからなかったりするものです。
この記事を読まれて、ご自分がこのような考えをしてると気づく事もあるかもしれませんが、ほとんどの場合、個人鑑定などを受けて、自分について教えてもらうなどしなければ、他者から指摘してもらえるケースは少なく、ある程度、人生経験を積む過程で、「○○をしたら、現在の不幸から解放されて幸せになれる!というのは、幻想にすぎなかった…」と、経験から気付いてかれることがほとんどだと思います。
自ら経験せず、周りから「あなたが言っていることは夢に過ぎないよ。幻想だよ」と言われても、腑に落ちないもので、本人が幸せになれると思い込んだ末、結果的に、行動したことが、失敗に終わったとしても、それはそれで、地に足つけて現実的に生きられるようになるための通過点なのかもしれません。
これは、私自身が多くの失敗を重ね、痛い思いをするなかで、やっと「現実に根に差した生き方」ができるようになった過去があるので、「幻想的願望充足」の考え方から、自然に抜け出していくには、人生経験を重ね、経験値が増し、幅広い思考ができるようになる過程で、ゆっくりと現実的な考えや行動の仕方が身についていきます。
「幻想的願望充足」に陥っているのが、ご自分ではなく、身近な友人やご家族がまさに今、その状態で、失敗するのを見ているのが辛いから、早く目を覚ますように説得したくなる場合があるかもしれません。けれども成長の過程だと思って、自ら経験して気づくのを、暖かく見守る姿勢も必要なのかなと思います。